福島の子どもたちを放射能から守ろう

 2月13日、月曜日の話です。長野地区原水禁などが主催して、「福島の子どもたちを放射能から守ろう!脱原発北信地域の集い」が開かれました。集いの進行役を担当しました。
 避難者の会「手をつなぐ3.11信州」の代表を務める森永敦子さん、そして会スタッフの鴫原和美さんを招き、県内に避難する皆さんの生の声と訴えを聴き、支援の在り方を考えるとともに脱原発世論を高めようとの趣旨で開かれたもので、北信地域から120人余りが参加しました。

右が森永敦子さん、左が鴫原和美さんです。


 福島県西郷村から白馬村に避難している森永さんが「3.11後の福島と非難」と題して報告。ポイントを紹介します。

★3.11後、放射能の危険性が知らされず、学校でも放射線量は測定されず。福島市内で親たちが自主的に測定を始めたところ、市内小学校で校庭が26マイクロシーベルト、側溝では108マイクロシーベルトの結果に。これで学校を再開するのかと教育委員会に迫る中で、ようやく学校で測定することに。

★文科省が年間20ミリシーベルト以内は学校再開方針を出したため、新学期から学校が再開、子どもらは校庭で遊ぶことに。国際放射線防護委員会(ICRP)勧告では、一般の人の年間積算線量の指標として、平常時は年間1ミリシーベルト(毎時で0.19マイクロシーベルト)以下とし、放射線管理区域では、法律で年間5.2ミリシーベルト以上の場所では飲食禁止で18歳以上の労働を禁止しているにもかかわらずである。

★子どもたちを放射能から守ろうと「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」を結成。やれること何でもやろうが合言葉で、「避難・保養・疎開」「測定・除染」「防御」「知識普及」のチームをつくり活動。

★5月に入って白馬村に自主避難。民宿を1棟借りて「保養プログラム」を長野から発信し運営。夏休みを活用して保養に参加する中で、避難を決意した家族は4家族、内3家族が長野県内に避難している。一時避難を含め延べ80人が参加。

★福島では「がんばろう福島」の掛け声のもと、放射線被ばくを危ぶんでの自主避難に対し、復興の足を引っ張るとの声が根強くある。御用学者による「福島は安全」の宣伝が行われ、今や「除染したから安全。帰ってこい」運動に。除染したからと言って、汚染土砂は校庭で保管されている状態で、除染したから安全とは到底言えない。

★子ども医療費は県内は無料、しかし県外移住者は有料。

★家族がバラバラに、生計の目途がない、母子非難が多く、いざという時に頼る相手がいないなど、避難による不安は一杯ある。子どものためには避難したいが、やっていけるのだろうかとと思い悩む母親はたくさんいる。

★安心して暮らせるためには、孤立感を解消すること。経済的な不安を解消する支援、避難から定住への支援、自己存在を感じられるような働きかけなど、支援の仕組みを変える必要がある。

★まずは避難者同士が繋がり合えるようにしたいとの想いから「手をつなぐ3.11信州」を立ち上げ。チェルノブイリ連帯基金と連携して、松本市内に拠点づくりを準備している。避難者当事者が基本にある支援を。サポーターズネットなど支援を繋いでほしい…。

 避難者の皆さんの率直な想い、そして今、福島で起きていることに、ある意味、重い衝撃を受けながらお話を聴きました。

 現在、長野県内に東北3県から避難している方は、2月7日現在で1,210人、うち福島県からの避難者が1,019人を占めています。長野市内では福島県から59世帯192人、宮城県から5世帯12人が避難されています(1月30日現在)。

 私自身も、安茂里地区の公営集宅に避難する皆さんからいろんな相談を受けています。生活のこと、就職のこと、健康のこと、子どもの教育のことなどなどです。長野市に永住することを決めた家族もいます。でも、福島と長野の二重生活を余儀なくされている皆さんがほとんどです。県内に避難される皆さんの状況や要望は多種多様。きめ細かな支援ネットワークが求められます。

 しかし一方、個人情報保護により、誰が何処に住んでいるかが互いに解らないため、避難者同士の横の連絡がなかなか取れず、不安を抱えながら孤立感を深めることに。何とか打開なければなりません。長野市に避難して良かったと思ってもらえるように、しっかり寄り添いたいと思います。
集いでは、カンパ金を贈呈するとともに、当面、本県栄村の特産品等の物資販売等による支援が提案されました。物心両面にわたって私達にできること、支援の在り方をしっかり考えたいと思います。

 最後に、森永さんから紹介された「私がふくしまに暮らすということ」を転載します。これは福島在住でセラピストの吉田麻里香さんが1月にFaceBookの「ノート」に記載したものだそうです。ネット上で広がっています。

『私がふくしまに暮らすということ』
ふくしまで暮らす、ということ。
わたしが、ふくしまで暮らすということ。
わたしにとって、ふくしまで暮らすということ。
たとえば、朝起きて窓を開けて深呼吸する習慣がなくなったこと。
たとえば、洗濯物を外に干せないということ。
たとえば、庭の畑で採れた野菜を捨てるということ。
たとえば、私が何も言わなくても
線量計とマスクを身につけて外出する娘の姿に胸がチクっと痛むということ。
たとえば、この真っ白な雪に触れられないということ。
たとえば、「がんばろう福島」のスローガンに
時々微かな苛立ちを感じるということ。
たとえば、いつのまにか呼吸が浅くなっているということ。
たとえば、福島に住んでることを誰かに話すとき、
「でもうちはまだ線量が低いから…」ときかれてもいないのに説明してしまうこと。
たとえば、ふくしまには福島とFUKUSHIMAがある、と感じること。
たとえば、ふくしまに「とどまれ」と言われると
「人の命をなんだと思ってるんだ!」と言いたくなり、
「避難しろ」と言われると
「そう簡単に言うな!こっちにも事情があるんだ!」と言いたくなってしまうこと。
たとえば、6歳の娘が将来結婚できるかが今から心配になってしまうこと。
たとえば、ふくしまに住んでいるという選択の責任を放棄したくなること。
たとえば、わたしたちの日常が誰かの犠牲と努力によって
保たれている薄氷のような「安全」の上に
成り立っているという当たり前の現実を、毎朝腹の底から理解するということ。
たとえば、明日にはこの家を遠く離れるかもしれない、と毎晩考えること。
たとえば、それでも明日もこの家で暮らせますように、と毎晩祈ること。
とにかく、娘の健康と幸せを祈ること。
あの黒煙が脳裏から離れないこと。
それでも、毎日をそれなりに楽しく暮らしていることを、誰かにわかってほしいということ。
毎日、怒ること。
毎日、祈ること。
ふくしまを代表するつもりも代弁するつもりもありません。
これがわたしの、わたしだけのふくしまで暮らすということ。
今日が、ふくしまにとっての10ヶ月。