故成澤栄一・元県議を悼む

開会中の6月市議会定例会は、10日・11日に常任委員会が開かれ、付託議案の審査が行われました。11日は私が所属する総務委員会が開かれ、議案等の審査が行われました。焦点・論点は改めて。

さて、6月10日、故成澤栄一さんの本葬・お別れの会が市内東和田の長野法事センターでしめやかに営まれ、太田寛・長野県副知事や加藤久雄・長野市長をはじめ、600人を超える皆さんが弔問に訪れ、最後のお別れをしました。

奢ることなく、親しみをもってすべての人に接してきた成澤さんならではのお別れの会となりました。

信州社会党時代の“顔”が、また一人旅立ちました。

お別れの会委員長は竹内久幸・前県議会議員が務めました。
私は、縁の深い地元の市議ということもありますが、公私にわたり可愛がっていただいた一人として受付など裏方を務めさせていただきました。

元県議会議員(日本社会党)で社民党県連顧問の成澤栄一さんは5月2日、大動脈瘤の破裂で急逝され、5月5日に密葬が営まれました。

連休中であったことなどから、この日の本葬・お別れの会となった次第です。

市議から県議に…庶民派として地方議会ひとすじ、生涯現役貫く

1930年(S5)3月28日生れ<89歳。県立長野工業高等学校本科機械科卒業後(後に通信教育で法政大学文学部を卒)、1949年(S24)信濃毎日新聞社編集局に入社、調査部、文化部の記者として活動されました。

1955年(S30)長野県連合青年団長に就任、全国の日本青年団協議会副会長を3期務め、1963年(S38)、日本社会党公認で長野市議会議員に初当選。連続3期。議会物価対策特別委員長として消費者対策に全力を挙げました。

1979年(S54)日本社会党公認で長野県議会議員に初当選。以来、連続5期当選し、監査委員、県議会副議長(1995年)などを歴任されました。

長野冬季五輪を経て、長野県の20年後のあるべき姿を模索し、その目標樹立のため、県総合開発審議会会長、国土利用計画審議会の会長として計画策定にも尽力されました。また、現職当時、県議団「社会県民連合」幹事長を務め、県議会の中で存在感を発揮しました。

1973年(S48)社団法人・長野中小企業労務協会会長に就任。以来、社会保険労務士として中小企業の労務相談に奮闘。県社会保険労務士会会長等を歴任されました。

日本社会党時代、1991年~1993年にわたり長野県本部副委員長を務め、2000年から社会民主党長野県連合顧問に就いていただき、ご指導を賜ってきました。

筆まめだった成澤さんは、「ふるさと日本の味覚再発見」「知事の椅子」など多くの著作も残されました。

幅広い知見、鋭い洞察力…範としてきた政治家

成澤さんは、私が1985年、東京から長野に移住してくる際の「保証人」のお一人です。当時は社会党の県議でした。

以来、成澤さんご夫妻にはずっと公私にわたりお世話になってきました。

市議会議員・布目が今日あるのも成澤さんあってのことです。感謝に堪えません。

昨年10月のマレットゴルフ交流会で。私の後援会顧問として激励をいただきました。

成澤さんはとにかく勉強家でした。成澤さんの幅広い知見、鋭い洞察力は、私自身の範としながら、学ばせていただいてきました。

4月の県議選の折にも、池田清・新県議の取り組み状況を気にかけ、「どうなっているんだ。大丈夫か」と何度も電話をいただき、当選後には、「ほんとによかった。布目君もよく支えてくれた。今度は布目君の番だ」と労をねぎらい、改選にお心遣いいただいた言葉が蘇ります。

ご遺志にしっかり応えたいと決意いたします。

健康には人一倍気遣い、体調管理をされ、「100歳まで生きる」と語っていた成澤さん、恩返しも十分にできぬままの突然の別れとなってしまいました。

ここに改めて、謹んで深く哀悼の意を捧げるものです。合掌。