あの日から1カ月

 大震災から1カ月。復旧、復興の兆しが現れてはいるものの、未だ続く大きな余震と福島原発事故の収束が見えない中、確定しない長い道のりに焦燥感を禁じえません。改めて、一日も早い復旧、復興を誓い、犠牲者の皆さんに深く哀悼をささげるとともに、被災者の皆さんにお見舞い申し上げます。

 3月末現在で、長野市は市内の市営・県営・教職員などの公的住宅に、福島県や宮城県、そして栄村の住民、28世帯・103人(内、栄村は2世帯)が緊急避難しています。

 私の地元の安茂里地区では、市営住宅・小市団地に8世帯、県住・小市南団地に4世帯、県住・犀北団地に2世帯です。市営住宅には3月17日から、県営住宅には23日から順次入居している状況です。今後、空き室状況を考えると入居世帯が増加することは間違いないでしょう。

 ほとんどが福島県のいわき市・郡山市、南相馬市からの避難住民の方で、福島原発事故で20キロ圏外への避難指示、20キロから30キロ内の屋内退避指示が出されている地域の皆さんです。福島原発20キロ圏内の浪江町からの方もいます。小さなお子さんと一緒に避難した方、94歳のお年寄りと一緒の方、そして、親族が行方不明のままの方もいらっしゃいます。

 私は、3月24日に小市団地に避難されている皆さん、4月2日に小市南団地に避難されている皆さんの要望・声を聴いてきました。いずれも、早く帰りたい、しかし、地震で住める状況にはない自宅に帰ることもできず、また立ち入り禁止とされているがゆえにままならない、いら立ちを募らせながらも、とりあえず住まいが確保され、行政や区長、民生委員の皆さんからの支援があり、「ありがたい」と笑顔で話されていることが印象的でした。

 長野市は3月25日に災害支援対策本部を立ち上げましたが、そこに至る過程で、住宅の入居支援だけでなく、生活支援、健康管理、心のケアーを含めた総合的な支援をコーディネートできるセクション・窓口を早期に作るべきと提言してきました。また、市職員だけでの対応には限界があるので、社協と連携してボランティアを活用することも求めてきました。

 また、市営住宅と県営住宅では、入居手続きは県の住宅供給公社が窓口になっているものの、県と市の住宅課がそれぞれ対応し、避難住民の情報の一元化を早期に図り、基礎自治体である市が総合的なケアーができるよう求めてきました。市営と県営で避難住民への対応が異なることがあってはならないからです。お風呂の配備工事に始まり、ごみ袋の提供、病院や健康診査の案内、さらには就学支援など、市がコーディネートする態勢になりつつあるようです。

 今後は、長期化せざるを得ない避難の中、被災地の情報提供、福島原発事故による放射能被害の予測と対応の情報開示による避難生活を見通せる態勢を作ること、そして就労支援、就学支援など、自立できる避難生活が課題となります。

 今日、市側から「災害支援本部の取り組み」について報告を受けました。避難住民の受け入れは4月10日現在で34世帯、121人になっているそうです。一時待機に始まり、短期(2カ月程度)、中期(6カ月から2年程度)、長期(定住者等)にパターン化し支援していくフローはできていますが、きめ細かさの度合いはつかみかねる状況にあります。住民自治協議会及び区を中心に避難生活を余儀なくされている住民に寄り添い、安心と希望をできる限り共有していくことが大切です。