全国人権・同和教育研究大会in長野

21日~22日、長野市内のホワイトリング(真島総合スポーツアリーナ)を主会場にして、「差別の現実を深く学び、生活を高め、未来を保障する教育を確立しよう」をスローガンに第67回全国人権・同和教育研究大会が催され、参加しました。
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国の「同和対策審議会答申」から50年、いまだ深刻な部落差別、人権侵害の厳しい現実を背景に、部落差別の根絶を主目標に人権同和教育の実践を学びあうことが狙いです。

県内では初めての開催で県内外から約10,000人が集いました。

地元大会テーマは「信州発! そのあとに続くすべての世代のために」です。
開催県としては、長野県における人権・同和教育の再スタートとの位置付けで、『かかわる、つながる』実践者の育成を目標に掲げています。

長野県における「同和教育」の取り組みと実績は全国的にも高く評価され注目されてきました。
今一度、原点に立ち返って、部落問題の解決に向けた同和教育、人権教育の再構築を図ることが、喫緊の課題になっているということでしょう。

今回の長野大会開催は故中山英一さん(元長野県同和教育推進協議会顧問)の悲願でもありました。

戦後長野県の同和教育のスタートは、1950年に起きた小学校での給食にかかわる差別事件が契機だったそうです。
ある児童が、部落の母親が作った味噌汁を「きたない」と言って捨て、それを部落の児童に拭かせたという事件です。当時の部落解放全国委員会長野県連合会(現在の部落解放同盟)は、これを重大に受け止め運動を展開し、県行政や県教育界においても指導者の育成や啓発資料の作成につながり、1964年には長野県同和教育推進協議会の結成に結実しました。

しかしながら、今日、同和教育推進教員制度は絶ち切れとなり、部落差別としっかりと向き合い、差別される側に立った人権同和教育の実践が先細りしていることは、残念ながら事実です。

「部落差別は過去のこと。同和対策特措法も終わり、今や差別はない」といった主張があります。
しかし、部落差別は、未だ就職や結婚といった人生の節目で歴然と現れてきます。
日本社会固有の差別である部落差別…「寝た子を起こすな」ではなく、「寝た子はいつか必ず起きる」と認識することが重要…このことを改めて心に刻むことが大切であると考えます。

「私にとって部落とは」…長野県稲荷山養護学校の宮川綾教諭が行った開会総会での特別報告です。

中学生時代の苦悩の「出身宣言」、教員になっての子どもたちとの関わり、そして父と母の結婚における差別を赤裸々に語り、「部落出身者が部落として生きることは厳しく重いこと。しかし、だからこそ、より深く、より豊かな生き方ができるのだと確信する。自分にとってのかけがえのない、大切で大切で仕方ない部落を、一人一人がつかみとってほしい」「決して命を奪われてはいけない、絶対に差別に負けてはならない、ということから始まった同和教育。あなたにとって部落とはなんですか?この大切な問いを、子ども達に問える位置に立つことが大切」と訴えました。

私が参加した特別分科会では、「信州の部落の歴史を取り戻す闘いの途上で~中世の善光寺、近代の部落学校、島崎藤村『破壊』などにふれながら~」と題した斎藤洋一さん(信州農村開発研究所・長野県部落史の研究家)のお話を興味深く聴くことができました。

ところで苦言を一つ。県内来賓のあいさつです。
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阿部守一県知事のあいさつは、県の人権政策推進基本指針の取り組み紹介までは大会の趣旨に合っていたものの、あとは県のアピールが延々と饒舌で長過ぎ…。

加藤久雄長野市長のあいさつに至っては、御開帳が終わった善光寺のご利益を伝播?するとかで「エアー・ハイタッチ」…はしゃぎ過ぎというか、全国都市問題会議における「元気玉」に続き、「品格」が…って感じです。
個性といえば個性ですが、穿った見方ですかね。