小山一平さんを悼む

 4月2日、参議院副議長を務めた小山一平・元参議院議員が永眠された。心からの哀悼の意を表する。大先輩は信州社会党の重鎮であり、生粋の党人派であった。信濃毎日新聞には「政治には厳しく、人にはあったかい、気骨の人であった」と私の偲ぶ言葉が掲載されたところでもある。

 訃報は、県議選告示日の1日に急きょ福島党首の応援が決まり、応援計画を詰めている最中、マスコミからの未確認情報という形で耳に入った。すぐさま、上田市の小山宅に電話を入れ、ご長男の誠甫氏からご逝去を確認した次第だ。

 あえて親しみを込めて「一平さん」と呼ばせていただくが、私は、一平さんから厳しい叱咤もいただいたが、随分と可愛がってもらった。私が東京から居を移し、社会党長野県本部の専従になったのが1985年、今から26年前である。そして翌年行われた衆参ダブル選挙で、3期目に臨む小山一平参議候補の遊説車の「車長」として県下遊説を担い、選挙期間中、寝食を共にした。当時の参院選は自・社の指定席選挙で、激戦の衆院選を横目にマイペースで選挙戦を戦った記憶がある。気負い気味の私を「急くことはない。肩の力を抜いてやれ」と温厚に諭されたものである。

 一平さんから厳しく叱咤されたのは、90年代の社会党の新党運動時である。当時の長野県本部の委員長は今井澄参議院議員(民主党に参加、既に故人)で、私は書記長だった。社会党の低迷を脱却しようと民主・リベラル勢力の再結集論が主流で、新党運動に前のめりになっていた私を「労働組合と一緒になって何をやっているんだ!社会党の立党精神を忘れるな!お前は俺と同じ党人派ではないか」と厳しく叱責されたことを思い起こす。いろんな要因があったのだが、小山氏の言葉が遠因ともなり、私は第1次民主党に参画せず、社会党に留まった。その後、党は社民党に移行、党県連幹事長として98年の参院選、翌年の参院補選に候補者として臨むこととなった。結果はご案内の通りである。村沢牧参議院議員(当時)の急逝に伴う参院補選では、一平さんが私の後援会長であった。

 公私にわたりお世話になりながら、実はここ数年、一平さんと行き会えていなかった。今となっては悔いるばかりである。上田でお会いできた頃、「布目君、俺は今でも社会党員だからな」と念を押すようにおっしゃっていた。そして「しかし、仲間がどんどん先に逝ってしまう。俺が逝ったときに誰が弔辞を読んでくれるのか」と冗談半分に、でも寂しげに語る小山氏の顔が懐かしく思い起こされる。

 今頃は、先に逝った清水勇さんや串原義直さん、村沢牧さんらと「よぉ!来たぞ」と一杯やっているのではないだろうか。

 葬儀告別式は4月7日(木)午後1時から上田法事センターで執り行われる。社民党と名前は変わったものの、信州社会党・党人派としての気骨を忘れず、今は亡き一平さんの遺志を引き継ぎたいと思う。一平さんを偲ぶ会は改めて催したい。深く哀悼を捧げる。合掌。