森田恒雄さんを偲ぶ

 6月28日、不慮の事故で急逝された元県議会議員、社民党長野県連合顧問、森田恒雄さんの告別式・葬儀が5日、飯田市内で営まれ、参列してきました。
 地元下伊那郡下を中心に県下から1500人の皆さんが弔問に。豊丘村議6期、県議7期を歴任し、南信地域の振興と満蒙開拓平和記念館の創立に尽力、平和を希求し続けた森田さんの急逝を悼み、その大きな功績を偲びました。
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 森田さんの訃報は、28日の正午前、地域の挨拶周りをしていた折に「森田さんが事故で危篤」の第一報を受けました。
 森田さんのことだから絶対に蘇ってくるを信じましたが、12:30過ぎに「蘇生断念、逝去」の報に接することになりました。

 6月7日長野市内で開かれた戦争法案に反対する県民大集会に飯伊から駆けつけ、元気な姿で檄を飛ばしてもらっていただけに、愕然としました。

 優しく微笑む遺影を前にしても、なお信じられない沈痛な想いが募ります。残念で悔しい限りです。

 7月1日付の信濃毎日新聞「建設標」への投稿「国民は国に再びだまされぬよう」は、森田さんの遺言となりました。
 亡くなった28日の前日に投函された投稿です。

 

「国民は国に再びだまされぬよう」
 映画「望郷の鐘」は満蒙(まんもう)開拓団の死の逃避行、戦争の悲惨さを伝え、「中国残留孤児の父」と呼ばれた山本慈昭さんの生涯を描いた映画です。山本さんを演じた内藤剛志さんが「国が国民をだますのも悪いが、だまされるのもいかん」と訴えた言葉が、今の安倍政権の政権運営と重なり、国民がまた、だまされそうになっていると思えてなりません。
 「不戦の誓い」をした憲法9条、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は憲法を尊重し擁護する義務を負うとある99条も無視した言動を黙視しているわけにはいきません。
 NHKの籾井勝人会長が以前、政府の方針と違った報道はできないと受け取れることを述べ、最近は作家百田尚樹さんが沖縄の新聞2紙はつぶせなどと発言していることは、許してはならないと思います。
 県内の市町村議会で安保法案の廃案や慎重審議を求める意見書が可決されています。政府は民意を尊重すべきで、安保法案の撤回を強く求めます。
 そして阿智村の満蒙開拓平和記念館へ来て、残留孤児・婦人の悲痛な証言を聞いてもらいたいと思う昨今です。
   下伊那郡 森田 恒雄(農業・82)
◇おことわり 6月28日に事故で亡くなられた森田恒雄さんが前日に投函された投稿が届きました。ご遺族の了解を得て掲載しました。

 喪主のご長男、正純さんが、「父が生前、『死んでいくときにどれだけの人が惜しんでくれるかが大事だぞ』と話していた」ことを紹介し、「父の第一の人生は農業、第二の人生は県議会議員、そして第三の人生として新種の桃の育成をはじめ農業へ強い想いを礎に再び歩み始めた矢先の事故死。無念だったと思っていたが、今日、多くの方に見送っていただき、本当に父は幸せだったと思う」と振り返っていらっしゃったことが印象に残ります。

 私は30年来、公私にわたり、時には厳しく、時には優しく、たくさんの示唆をいただいてきました。1999年、故村沢牧参議院議員の逝去に伴う参院補欠選挙の際に、再び候補者として挑戦することを後押ししたいただいたのが森田さんであり、社会党の分裂、社民党への組織移行の際にも、「筋を通せ」と叱咤いただいたのが森田さんでした。
 党役員時代、夜遅く残業している書記局を訪れては「布目君、そんなに仕事しなくていいぞ!一杯飲みに行くぞ!」と激励。市議になってからも、選挙の折には知人宅を訪問しては支持を広げていただきました。私にとっては大恩人の一人、長野の地の「親父」みたいな存在でした。

 昨年11月9日、私の後援会のバスツアーで満蒙開拓平和記念館の見学に行った際に、副館長である森田さんからご案内をいただきました。その時の写真です。
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 平和への固き信念を引き継ぎたいと思います。