いじめ…「加害者VS被害者」の二項対立で真の解決につながるのか【3月議会の質問➎】

今回の質問で、学校におけるいじめ事案や学校トラブルに少なからず関わってきた一人として、いじめ防止対策推進法の課題として感じる点を述べ、教育長の所見を問いました。

こうした問題提起をすることに、戸惑いがなかったわけではありません。「誤解を恐れず」の問題提起です。

いじめの被害児童にしっかりと寄り添った対応が基本であることに異論はありませんが、大人の判断で加害者とされた児童が、実はいわれなき批判と非難の対象となり、精神的・心理的負担を負ってしまう場面にも直面してきました。二項対立を超えて子どもたちに寄り添うことがなければ、やはり真の解決につながらないと思い、質問に取り上げました。

長くなりますが、私の所感・質問と教育長の答弁をそのまま掲載します。ご意見をいただければ幸いです。

私の想いと質問


いじめを「一定の人的関係にある他の児童生徒が行う心理的または物理的な影響を与える行為であり、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」と広く再定義し、事案対応を的確、迅速に進める法の趣旨、被害者とされる児童生徒に寄り添った対応を基本とすることに異論はありません。

しかしながら、すべてのいじめ事案で、文科省が作成したガイドライン等で「加害者VS被害者」という二項対立で固定化した構図で対処することが果たして真の問題解決につながるのだろうかとも思うのです。

加害と被害が入れ替わる場合もあります。

いじめは人権侵害であり、自殺という極めて重大で深刻な事態を回避するためにも、二項対立の構図のもとに対処せざるを得ない事情は理解できるものの、大人が二項対立の構図の中に子どもを入れることで、子どもたちの人間関係に大きな溝、分断を持ち込んでしまうことを懸念します。

いじめを本当に解決するためには、当事者である子どもたちの力が必要なのです。

では、いじめをなくすために子どもたちにどんな力をつけるのか。法では道徳教育の充実を図ることを基本としています。

規範意識がぜい弱だから、或いは道徳教育が十分になされていないからいじめが生み出されるのだろうか。

いじめを生み出す構造やいじめの背後には、過度な競争環境の下で、「大切にされていない」「自分なんかどうでもよい」といった自尊感情、自己肯定感の低さがあることは広く指摘されているところです。子どもたち自身の「人権が尊重されている」という実感が不可欠であるということでしょう。

そうした意味で全教育課程で子どもの人権に光をあてることが重要と考えます。所見を伺います。

また、いじめ防止対策推進法の見直しに合わせ、いじめ事案の現場における経験を踏まえ、国に意見具申していくことも大切ではないかと考えますが如何でしょうか。併せて所見を伺います。

近藤守教育長の答弁


これまでの教育の中では、私たち大人や社会、また、学校がみんなと同じことが良いことだということ、いわゆる同意性、同調性を求めてしまう面があり、そのことに苦しさを感じる子供は、みんなと一緒にできない自分が悪いと自分を責めることで、往々にして自己肯定感の育ちを阻害することになっていたことがあったのではないかと思っております。

新しい学習指導要領では、主体的、対話的で深い学びの実現に向けた授業を全教科活動で行うことにより、子供たちの学びに向かう力、人間性の涵養を目指しております。

子供たちは主体的で対話的な学びを通して自己有用感を高め、相手の立場に立って考え、お互いを大切な存在と認め合い、豊かな人間性を育んでいくものと考えます。このことは、正に議員御指摘の全教育課程で子供の人権に光を当てること、そのものではないでしょうか。

いじめの問題は、いじめられている子供の尊厳が踏みにじられ、人権が侵害されている状態であり、時にはその子の命にかかわる大きな問題となるものです。

この問題に対して、いじめ防止対策推進法では、いじめを広く定義し、いじめで苦しむ子供に寄り添い、早期に対応する必要があることを明記したことには意義があると考えております。

また、法に基づく公正な対応の仕組みとして、弁護士、医師、スクールカウンセラーなどその事案に応じた専門家を加えた第三者委員会の設置を規定したことは、いじめで苦しむ子供とその保護者に寄り添い、より的確な対応を行っていく上で必要不可欠なものであると考えます。

私の経験上、学校における集団生活において、成長途上にある子供たちは、特に低・中学年になるかと思いますが、不用意な言動により意図せず友達を傷つけたり、様々なもめ事やトラブルを起こしてしまったりすることもございました。

そうした際には、子供たちが社会性を育む大切な機会と捉え、担任として子供たちの間に入って、事実関係を把握しつつ、子供たち同士で話し合うようにし、子供たち自らが解決の糸口を見出すよう指導してきたつもりでございます。

しかし、いじめ防止対策推進法では、行為を受けた本人の主観からいじめと判断されるため、相手に良かれと思って行ったことも、相手が嫌なことと受け止めれば、いじめとなってしまうことにもなりかねません。

誤解を恐れずに申し上げるならば、学校現場では、このような場合もいじめとして見極めざるを得ない状況が生じる法の定義に戸惑いがあることも事実でございます。

また、子供たちの社会性を育む学校において、法に従い、被害者、加害者と認定し指導することが、教育上、子供の成長にとって望ましいことかどうか、その判断にも迷うところでございます。

教育には様々な考え方がございますが、これからの学校には、一人一人の子供が自分の良さや可能性を認識すると共に、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協同しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り開き、持続可能な社会のつくり手となる力を育むことが求められていくのではないかと考えております。

このことは、長野市活力ある学校づくり検討委員会から示された、発達段階に応じ、個を尊重し、多様性ある集団で学び合える新たな学びの場という答申内容とも意を同じくするものであると捉えております。

私といたしましては、子供たちの健全な成長のためには、しっかりと人権が守られるようにすることはもちろんのこと、多様な人々とかかわりを持ちながら、他者を認め、互いを許し合い、人間関係の幅を広げることは、社会性を育む上で大事であると思っており、国の担当者へ議員と同じこの思いを申し上げてきているところでございます。

今後も引き続き、機会を捉えては、本法をより良いものとしていただけるよう意見具申をしていくつもりでございますので、議員の皆様におかれましても、お力添えを賜りますようお願い申し上げます。 以上でございます。


➡長野市議会の「録画中継」サイトに質問がアップされていますので、ご覧ください。