松代大本営追悼碑建立21周年

8月10日、「松代大本営朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」の建立21周年を記念する集いが松代大本営象山地下壕前で催され、犠牲者に黙とうをささげるとともに献花を供えました。

松代大本営追悼碑を守る会(会長=塩入隆・県短大名誉教授)が毎年主催するもので、県下から、追悼碑建立に関わった市民の皆さんをはじめ、朝鮮総連、民団の在日団体の代表、朝鮮小中級学校(松本市)の中学生の皆さんら70人が参加しました。

塩入会長は「再びきな臭い動きが顕著になっている。歴史の改ざん・歪曲を許してはならない。追悼碑を通して、加害の歴史を直視し、真摯な歴史認識を学び合うことが問われている」と訴えました。

主催者を代表して挨拶する塩入隆会長

主催者を代表して挨拶する塩入隆会長


私は碑の建立から携わり、追悼碑を守る会の事務局次長を務めています。

追悼碑は戦後50年の節目、1995年8月10日に建立されたものです。
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松代大本営地下壕は、太平洋戦争末期、軍部が本土決戦の最後の拠点として、極秘のうちに、天皇をはじめ、大本営、政府機関等をこの地に移すという、いわば「遷都計画」のもとに、1944年11月11日から翌45年8月15日の敗戦の日まで、約9箇月の間に建設されたもので、突貫工事をもって、全工程の約8割が完成したものです。政府機関が入る予定であった象山地下壕は、一部公開されています。

過酷な地下壕掘削工事の主要な労働力は、日本国内にいた朝鮮人労働者と植民地だった朝鮮半島から強制連行されてきた朝鮮人でした。

また、このほか、日本兵をはじめ周辺の市町村から徴集された国民勤労報国隊、地元の中等学校生、国民学校生などが勤労奉仕に駆り出されました。

この工事でダイナマイトの事故や落盤等により多くの朝鮮人が犠牲になったとの貴重な証言が残されていますが、犠牲者の特定は数人にとどまり、全容は解明できていません。

松代大本営地下壕を巡っては、長野市が地下壕前に設置する案内板の説明の書き換えによる歴史の修正問題をはじめ、戦争史跡として保存公開すること、松代大本営地下壕建設工事における朝鮮人強制連行・強制労働の歴史をさらに掘り下げ解明していくことなど大きな課題をなお残しています。

長野市が修正した地下壕前の案内板

長野市が修正した地下壕前の案内板


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侵略と加害の歴史に向き合い、平和な未来を創造する「場」として活かしていくことが問われています。

地下壕前の集いに引き続き開いた追悼碑を守る会第22回定期総会では、追悼碑の環境整備を図るとともに、見学者向けの独自のパンフレットを作成発行する事業計画を決定しました。

テレビや新聞など報道の皆さんが大勢取材に見えました。
ありがたい話なのですが、「松代大本営とは何?」「朝鮮人の強制連行・強制労働とは?」といった基本的な歴史認識を問われる場面が多く、若い記者の皆さんが学んできた歴史教育、歴史認識が如何なるものなのかを痛感させられました。

風化する戦争体験…若い世代の皆さんに松代大本営地下壕の歴史を如何に正しく語り継いでいくのか、大きな課題です。作成するパンフがその一助になればと願います。

しっかり取り組んでいきたいと思います。

ところで、今日午後には、市議会のスポーツ・文化振興議員連盟による長野市文化芸術振興財団との懇談会が開かれました。
改めて報告します。

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