太鼓の中から見える歴史とは?…人権を考える住民の集いin安茂里

「太鼓の中から歴史が見えてくる~太鼓づくりと被差別民衆」、とても興味深いテーマです。

1月12日、安茂里地区住民自治協議会と市立安茂里公民館の主催による「安茂里地区人権を考える住民の集い」では、市立長沼公民館の宮澤秀幸館長を招き、冒頭のテーマ「太鼓の中から歴史が見えてくる~太鼓づくりと被差別民衆」を演題にしたお話を聴きました。

太鼓といえば、盆踊りや祭りの神楽でお馴染み。最近では「鼓動」といった太鼓グループによる音楽活動も注目されています。さらに、安茂里地区では、女性陣で構成される「裾花彩鳥太鼓」の皆さんの存在と活動が際立ち、いろんな地域行事で活躍いただいています。

「太鼓を打つ男」の埴輪のレプリカ

和太鼓のルーツは縄文時代に遡るとのことですが、日本最古の太鼓の資料は6~7世紀とされる天神山古墳(群馬県佐波郡境町)から出土した「太鼓を打つ男」の埴輪だそうです。戦国時代には、陣太鼓が興るとともに、太鼓の音が情報連絡手段として活用され、江戸時代になって、歌舞伎の囃子などにも使われ、民衆の打楽器として位置づいてきた歴史を刻んできたとのことです。

宮澤さんは、「太鼓(ここでは和太鼓の意)は、日本の伝統文化に欠くことのできないものであるだけでなく、日本人の生活と深くかかわって発展してきた」とし、「しかし、その太鼓が、どこで、どのような人々によってつくられているのか、ほとんど明らかにされてきていない。太鼓づくりの歴史から私たちが学ぶことは何か」と問題提起。

「近世江戸時代では、太鼓づくりは“皮”と切り離さない仕事で、被差別部落の民衆(主に「エタ」身分の人々)の仕事であった」ことを解きながら、「被差別部落の民衆の仕事であった歴史を学ぶこととは、被差別の側で生きてきた人々が太鼓づくりの技を磨き技に誇りを持って生きてきたことを理解し、その生き方を通して部落差別の不合理に気づくことである」と強調しました。

江戸時代に製造された太鼓の銅の中には、太鼓職人の銘と花押(書版)が記され、刀鍛治が刀の中後の部分に花押を彫るのと同様に、太鼓職人が太鼓製造の技術を誇るもので、「差別に曲げずに生きてきた被差別民衆の逞しい生き方が現れている」とし「太鼓づくりの素晴らしさや太鼓職人の逞しさを学ぶことは、部落=貧困・低位といった部落に対する一面的な認識を変えていくことにつながる」と指摘されました。

被差別部落の民衆が屠殺を生業としてきた歴史は理解していましたが、屠殺から生まれる皮が太鼓づくりに生かされ、独自の技術と文化が育まれてきた歴史は、ある意味、新鮮な勉強となりました。花押に職人としての誇りを感じます。

例えば、江戸時代、大阪渡邊村(現、大阪市浪速区)は、近世大阪に存在した西日本最大の被差別部落で、皮革の取引が主な産業で、「大阪城の時太鼓の張替え、東照権現の太鼓や四天王寺の太鼓の張替えを御用として仰せつかっていたこと」や「皮革の商いを許された12軒の皮革問屋があった」との記述が残されているとのことです。

また、宮沢さんは「日本人の潜在意識に、動物の皮を加工する仕事やそれに従事する人々を「穢れ」とする意識が脈々と続いているが、神楽や雅楽に代表される日本の伝統芸能に、太鼓は欠かすことができず、太鼓づくりの技術の継承という観点から歴史を考えれば、日本の文化や芸能は被差別部落の民衆の存在を抜きには考えられない」と強調しました。

太鼓づくりを人権学習のテーマとし、太鼓演奏を交えての宮澤さんのお話は、壮大なる太鼓のリズムとともに、太鼓づくりからの歴史から部落差別の不合理性を問い直す、とても興味深いものでした。

私からは、LGBT=セクシュアルマイノリティの人権確立に向けた市民請願の採択を受け、性の多様性を認め尊重する当たり前の社会づくりが問われていることに触れながら、挨拶させていただきました。

【参考】
●太鼓のルーツは紀元前3000~2500年ごろのメソポタミヤ文明に遡るとのこと。シュメール王城址から太鼓をたたく姿が描かれているレリーフが発見されているそうです。

●また、中国では4世紀ごろから栄えた敦煌の洞窟壁画から、太鼓を打つ姿が描かれる舞楽図が発見されているそうです。

●日本における和太鼓のルーツは、縄文時代に遡るそうで、情報伝達手段に使われていたとされ、日本神話の天岩戸の場面でも桶を伏せて音を鳴らしたと伝えられているとのことです。

●縄文時代中期の遺跡として代表的な尖石遺跡(長野県茅野市)からは、皮を張って太鼓として使用されていたと推察される土器が出土しています。

●6~7世紀の天神山古墳(群馬県佐波郡境町)から出土した「太鼓を打つ男」の埴輪が日本最古の太鼓の資料とされているとのことです。

●和太鼓そのものを主体とする音楽に発展するのは、昭和に入り、御諏訪太鼓の小口大八氏が、胴の長さや直径等の違いで音が違うことを利用し、これらを組み合わせて太鼓を一つの音楽に仕立てる複式複打法を確立したことに始まるとのことです。