義父の他界

実は11月6日未明に高崎市居住の妻の父が他界し、9日に通夜、10日に葬儀告別式を高崎にて営みました。享年91歳。

義母を3年前に亡くし、一人暮らしであった義父は夏ごろから体調が優れず、夏バテと思っていたところが「骨髄異形成症候群」と診断され、入院治療中でした。

骨髄異形成症候群とは、血液細胞(赤血球、血小板、白血球)の大もとになる造血幹細胞に異常が起こる病気で、原因は不明、主に中・高齢者に多い疾患とされています。

市議改選後の9月末に妻と入院したばかりの義父を見舞い、1か月後の10月27日、「具合があまりよくない」との連絡を受け、見舞いに伺いました。その際には、まだリハビリへの意欲もあり、元気そうでした。

11月3日は妻一人で高崎に赴き、三姉妹そろって(妻は次女)見舞い励ましてきたところだったのですが、何と、その3日後の他界となってしまいました。

娘たちが揃って顔を合わせ、「食べたいものある?」との問いに「醤油かけ卵」と答え、醤油をかけた半熟の卵を美味しそうに食されたとのこと。また、出来上がったばかりの著書(後に触れる「公衆衛生に生きる―専攻医の回顧録―」の冊子)が病室に届けられ、積み上げられた著書に囲まれて逝きました。

思い残すことなく、安らかに逝ったのではと思います。最期を看取ることができなかったことに痛惜の念が募りますが…。

6日早朝に高崎に駆けつけ弔ったのち、葬儀が10日となったことから私だけが長野に戻ってきていましたが、改めて9日~10日高崎に赴き、通夜、葬儀・告別式に参列し、最後のお別れとなりました。

因みに高崎では、葬儀告別式の後に火葬となります。

義父は「公衆衛生」を専攻する内科医で、開業医の傍ら、足尾銅山鉱毒事件や新幹線公害問題などに取り組み、「公害学入門-環境保健へのアプローチ」を著し、群馬大学医学部で公衆衛生学の教鞭をとった時期もあります。

学校医・産業医も継続して担当し、高崎市医師会の会長(現顧問)も務めてきました。

地域医療、公衆衛生一筋でまい進してきた義父は、米寿を機に、医院が再開発による立ち退きを迫られたこともあり、医院を閉じ、もっぱら趣味の写真に精力を注いできました。

趣味とは言え、写真の腕前は確かなもので、群馬の山岳・自然をテーマにした写真集も多く発刊されてきました。

写真の面白さを学んだのも義父からです。若き頃、二人でカメラを担ぎ浅間山に登ったことが思い起こされます。

数多くの著書もあり、齢90年の生きざまをまとめた「公衆衛生に生きる―専攻医の回顧録―」が絶筆となりました。

この冊子は、亡くなる直前に完成・発行となったもので、私自身も父から依頼され校正を手伝った記録です。

あとがき「インサイド・ストーリー」の中で「信条」にこう記されています。

「公衆衛生学の武器である疫学は、正しい資料と統計学が必須。人生も然りで、世の為の誠意ある地道な足跡の積み重ねが人生を全うすることになる」

心に刻みたい一言です。

頑固な人柄ではありましたが、公衆衛生・地域医療を全うした義父の生きざまを心から尊敬しています。

私の生きざまには、厳しくも温かい理解者でした。

ここ3年の間に、相次ぎ私の父母、そして妻の父母を見送ることになりました。やはり喪失感は癒せません。

葬儀には、娘たちも夫婦そろって弔いました。

「今を共に生きる妻と娘たちを愛情深く大切にしよう!」と想うこの頃です。

余談ですが、9日、高崎に赴く折に、横川SAで買い求めた”秋のプレミアム釜めし”です。栗ご飯で美味しく、一緒に食べた娘たちにも好評でした。値段もそれなりですが…。

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