あの「3.11」から5年

3月11日午後2時46分。
5年目のこの時刻を議会で迎えました。
長野市議会・総務委員会を一時中断し、黙とうをささげました。

死者 1万9,304人
震災関連死 3,410人
行方不明者 2,561人
仮設住宅入居者 5万7,677人
避難生活住民 約17万4,000人

重い数字です。そこには、心をずたずたにされている一人一人がいます。

忘れない!そして許さない!
心に刻み込みたいと想います。

福島県浪江町出身の詩人、根本昌幸さんの「詩」を二つ掲載します。
一部は、今日付の信濃毎日新聞『原発災害から5年、「人口ゼロ」の過酷』にも引用されました。

「荒野に立ちて」  根本昌幸

荒野に立ちて
わが古里の町をみた。
ここはかつては
私たちの町があったのだ。
楽しい暮らしがあったのだ。
緑の豊かな町
美しい川が流れていた町。
小鳥のさえずりがあって
目覚めて
それから
仕事へ出掛けた。
あれはすべて夢幻であったのか。
枯れた草におおわれて何も見えない。
古里を追われた者の大きな悲しみが分かるか。
古里を追われた者たちの胸の痛みが分かるか。
今 荒野に立ちて わが町を見る。
ここに この所に 人々の平凡な暮らしがたしかにあったはずだ?
しかし あれはやはり幻だったのだ。
どこをどう見回しても 何も見えはしない。
荒野に立ちて独り涙を流す。
青空と太陽だけがしらぬふりしてほほえんでいる。

「帰還断念」  根本昌幸

いくら除染をしても 放射能が高くては帰れない。
ふるさとへ戻る。
ふるさとへ戻らない。
ふるさとへ帰る。
ふるさとへ帰れない。
心は揺れる。
ふるさとを捨てる。
ふるさとに未練はある。
ここで生まれ ここで育ったのだから。
だが現実は甘くはない。
人は人の力によって直すことの出来ない
とてつもなく恐ろしい物を造ってしまったのだ。
この原発というものを。
これが人間が人間としての唯一の間違いだった。
廃炉までに何年かかる?
三十年。いや四十年。
今を生きて行く 私たちにとって 気の遠くなるような話だ。
それよりも それまで生きていることが出来るか。
帰還断念。帰還断念。
望郷の唄が遠くから聴こえてくる。
あの唄は幻聴か?それとも涙唄か?幼い昔に聴いた唄だ。
誰もいない野原に 名もない花が咲いて。
誰もいない野原に 羽虫が飛んでいる。
かつて町だった。かつて村だった。
そこに その場所に。

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