復帰40年の沖縄連帯集会…沖縄差別を考える

 5月22日、県護憲連合主催で沖縄連帯集会=普天間基地は国外へ!辺野古新基地建設NO!長野県集会を伊那市の伊那文化会館で開きました。北信越ブロック5県の平和運動センターによる沖縄連帯キャラバンの一環で、沖縄平和運動センターの山城博治事務局長を招き催したものです。

 正午からJR長野駅前で街頭宣伝、護憲加盟団体代表らとの意見交換会、JR松本駅前での街頭宣伝を経て、伊那市での集会となりました。200名の仲間の皆さんに結集してもらいました。

JR長野駅前での街頭宣伝より

 1972年5月15日、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還、沖縄の本土復帰から40年。
凄惨な地上戦で沖縄住民の死者は12万余を超え、戦後27年間にわたりアメリカの統治下におかれました。沖縄は「核抜き、本土並み返還」、「平和憲法の下への復帰」を願いました。

 しかし、その切実な願いにもかかわらず、40年を経てもなお沖縄は在日米軍基地面積の74%が集中する「基地の島」を強要され続けてきました。米兵による少女暴行という痛ましい事件に対する県民の怒りは、普天間基地などの返還合意をもたらしたものの、県内辺野古移設・新基地建設にすり替えられ、今なお返還は実現していません。

 それどころか、普天間基地に超欠陥機のオスプレイの配備を計画し、沖縄本島北部の高江地区にオスプレイの訓練場となるヘリパッドを建設しようとしています。
2004年に発生した普天間基地所属の米軍輸送ヘリの焼縄国際大学への墜落事故では、治外法権を認める日米地位協定により、日本の警察は立ち入りすらかないませんでした。オスプレイの配備により、被害と犠牲が拡大することは必至であるとともに、地位協定により米軍の野放図な暴力を容認せざるをないことになります。こんな不条理はありません。
 7月にも配備という中で、地元では海上での配備阻止運動を準備しているといいます。

県護憲連合加盟団体代表らとの意見交換会より、米軍基地の重圧を訴える山城氏。

 「復帰40年、沖縄の今をともに考える」と題した講演で山城氏は、沖縄で自主作成された映画「I love 沖縄…辺野古&高江」のダイジェスト版を紹介しながら、「今なお基地の重圧にある沖縄の現状」に理解を求めつつ、今年の沖縄県民集会で、地元から「本土に基地を持って帰ってもらいたい」との訴えがあったことに対し、「鳩山元首相が“最低でも県外”と公約し裏切られたことから、地元の心情としては深く理解するが、国に向かって言うべきこと。全国の仲間に訴えることではないだろう。運動の分断につながることを懸念する。基地負担を本土に分散させることが運動の目的ではない。私たちの立場は基地をなくしていくことにある」と訴えました。

伊那文化会館の集会より

伊那文化会館の集会より。今年の沖縄平和行進に参加したメンバーも合流しました。

 今日、「沖縄差別」が焦点となっています。仲井間・沖縄県知事が、過重な米軍基地負担を「差別」と表現したのが2年前、そして今、同じ意識が沖縄県民に広がっているとされます。

 復帰後も続く過重な基地負担故に「沖縄が差別されている」との声には真摯に向き合わなければなりません。しかし、基本問題はアメリカの言うがままに沖縄の基地負担を黙認してきた国の責任にあります。「本土も負担の覚悟を」と言われると「それは違う」といわざるを得ません。「沖縄差別」から「基地の本土への分担」へとマスコミの論調も大きく傾いていますが、日米安保条約、日米同盟なるものの本質を問わないまま、沖縄と本土の国民を分断することに作用することがとても危惧されます。

住宅街のど真ん中にある米軍・普天間基地…平和フォーラムより

普天間基地に配備されるオスプレイ…平和フォーラムより

 「沖縄差別」に向き合うことは、北東アジアに米軍基地は必要なのか、アメリカの軍事力を背景にしたアジア戦略で、アジアの平和を創り出すことができるのか、「抑止力」の真実は何なのか、を私たち一人一人が問い直すことであると思います。

 集会での沖縄連帯カンパをはじめ、各団体・地区に取り組んでもらったカンパは24万8千円に上りました。ありがとうございました。

 集会後には、山城氏を囲んで交流会、上伊那地区の懐かしい面々とも杯を交わし旧交を温めることができました。

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