2月6日午後0時53分、敬愛する同志であった竹内久幸元県議(社会民主党長野県連合元代表・現顧問)が闘病の甲斐なく69歳の若さで旅立ってしまいました。急激に進行した肺がんでした。
竹内さん、早すぎるぞ!
もっと酒を交わし、この国の未来を、長野県・長野市の将来を、そして社民党の行く末をともに語り合いたかった、そんな想いがこみ上げてきます。
奥様からの知らせを6日午後、市議会・議会運営委員会の視察先である宮崎市で受けました。すぐにでも飛んで帰りたい気持ちを抑え、視察から帰った8日夕刻の通夜、そして昨日9日の告別式に参列してきました。
竹内さんは、29歳で長野市議に初当選、4期15年半を務め、県議に転身。以来5期を務め、後継を池田清県議に託し、今に至ります。県議会では、住民参加で総合的な治水・利水を検討する「治水・利水ダム等検討委員会条例」づくりや「県の契約に関する条例」づくりなど施策提言をリードする役割を担う論理的政策通でした。
2010年から19年まで社民党県連合代表も務め、信州社民党の顔として活躍してきました。
竹内さんとは、私が長野に移住して以来、公私にわたる37年間のつきあい。4歳年上の兄貴的存在でしたが、お互い党人(もともと党専従者)であったことから社会党から社民党の激動の時代をともに生き抜いてきた同志でした。何事にも愚直でまっすぐな姿勢(いい意味での裏技も得意?でしたが)に、大いに学んできた一人です。
県議を勇退し党県連役員も退いた後は、表の舞台に顔を出す機会が減っていましたが、昨年夏の参院選では杉尾さんの応援集会に元気な姿を見せていただけに、逝去の報は衝撃でした。
実は、年明けに相談があり携帯に電話した折、絞り出すような声で「入院中」を告げられ、1月19日に奥様と一緒に「家族カード」で見舞いにいき顔を見てきています。コロナ禍であり、病室には入れず、通路から「竹さん」と呼びかけ、「頑張れ!」と声をかけた…、竹内さんはあの優しい笑顔を見せながら手を振ってこたえてくれました。少し儚さを漂わせた、あの姿が最後です。
奥様から、病状を聴いてはいたものの、まさか、こんなに早いとは…。痛惜の念に堪えません。
「悔いはない」と話していたと聴いていますが、随分、我儘も聴いてもらってきた私としては、「悔いを残しているだろうな」と自責の念があるのも、正直なところです。
政治にかけた遺志を私なりに引き継ぎたいと想います。安らかにお眠りください。合掌。