プロフィール

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社会民主党公認で長野市議会議員を5期務め、2023年9月に議員を引退、後継にバトンを引き継ぐ

1957年10月1日富山県富山市生まれ。66歳。
1976年富山県立富山高校卒業、中央大学法学部法律学科に入学。
1982年中央大学(6年間在籍)を卒業後、東京都三鷹市に居住、日本社会党東京都本部の専従に。在京時代、26歳で結婚。
小諸市出身で東京都職労副委員長を務めていた仲人の縁で、1985年日本社会党長野県本部に移籍。長野市篠ノ井に転居、87年安茂里小市に居を構え今日に至る。
日本社会党長野県本部書記長を経て、社会民主党長野県連合初代の幹事長を務める。
1998年参議院議員選挙長野県区、翌1999年には故村沢牧参議院議員の逝去に伴う参議院補欠選挙に党公認で立候補。

2003年9月長野市議会議員に挑戦、初当選。3,933票の支持を得て9位で当選。
川中島バス労働組合出身で市議会議員(7期)を務めた宮﨑一さんの後継者として、現アルピコ労働組合(私鉄県連)の組織内議員となる。

2007年9月、5,450票を得て3位で再選果たす。

2011年9月、4,968票、2位で3選果たす。

2015年9月、4,935票を得て2位で4選果たす。

2019年9月、4,257票を得て経て3位で5選果たす。

9月15日投開票の長野市議選…4,257票の支持をいただき、3位で5期目の当選を果たすことができました。ありがとうございました。 ...

市議会では2015年に新しく結成した統一会派「改革ながの市民ネット」(略称=改革ネット)を継続し、5人の議員で活動してきました(23年9月現在)。連合長野推薦議員を中心に構成する第二会派で、幹事長を経て2022年5月から代表を務めました。

10月1日から新しい議員の任期がスタートし、新議員初顔合わせとなる全員協議会が開かれました。10月8日・9日に臨時議会が招集されます。 新...

2020年10月1日より議会選出の監査委員に就任(任期1年)。

22年9月の議会人事で、福祉環境委員会委員長、議会運営委員会委員、公共交通対策調査研究特別委員会委員、市議会議会活性化検討委員会2019委員などを務めました。

2023年9月、市議を引退し世代交代へ。後継者である原ようこさんにバトンを渡すことができました。原ようこさんは無所属・社民党推薦で挑戦、3,773票を獲得し3位で当選を果たしました。ありがとうございました。

厳しい”市政ウオッチャー”として、長野市政・市議会の監視・評価を続けていきたいと思います。

無所属・社民党推薦、後継者である原ようこ候補は無事、初当選を果たすことができました。想定を超える3,773票のご支持をいただき3位当選です。...

長野市議会「改革ながの市民ネット」のページへ profile2

社会民主党長野県連合副代表、同長野総支部代表、長野県護憲連合事務局長、アルピコ労働組合川中島バス支部特別執行委員。私鉄総連全国自治体議員団会議幹事・私鉄中部地連自治体議員団会議幹事。

戦争をさせない1000人委員会・ながの、信州市民アクション事務局団体のメンバー。

長野市安茂里小市1丁目に在住。妻と娘2人の4人家族。今は妻と二人暮らし。
同居犬チワワの「クララ」は2011年逝去。再び飼いたいのだが、「あんな切ない想いはしたくない」との妻の言葉になかなか言い出せないでいる。

趣味はトレッキングと写真、妻が愛情を注ぐバラの写真係。でも、このところ、妻の関心・興味先が変わり、バラは減少中です。
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Rose Garden 我が家のバラ」のページを開設しましたが、2010年来、未更新のまま放置状態、過去の記録に…。

友人が語る布目ゆきお像[2003年当時/年齢等は更新]

bullet257生い立ち…66歳
[年齢のみ更新しています] 1957年10月1日、富山市の市営住宅で産声。「越中富山の薬売り」の次男坊として生を受ける。中央大学法学部卒業後、日本社会党東京都本部(当時)に就職、85年に東京から長野に移住、日本社会党長野県本部書記長、そして社民党長野県連合幹事長を経て、現在、同県連合副代表を務める。参院選に立候補したのが40歳の時。『論語』にいわく「40にして惑わず、50にして立つ」とあるが、布目語では、「40にして惑わず立つ」だったそうだ。師として仰いできた村沢牧参議院議員(故人)の遺志を継ぎ補欠選挙にも立候補したが涙をのむ。今、地域政治の根っこ・自治体から改革をめざす。

bullet257ボディ…176cm
実際の身長よりも大きく見える人。体重は70Kg。若さとパワーが売りものの布目も、最近はおなかが出てきたが、シェイプアップは性に合わないという。薄くなり始めた髪も気にかかる。極度の近視は、市民生活に密着した視点で活動してきたためか?。メガネは使わずにコンタクトレンズを使っている。

bullet25720歳の原点「平和と人権、福祉」!
中央大学法学部時代に、法律相談(セツルメント)活動、反戦活動に参加した布目。東京亀有セツルメントでは、避難施設の退去を命令された生活保護を受けるおばちゃんに「生きていけないじゃないか、死ねというのか」と泣かれ、言葉を無くす。日本に歴然とある貧富の差に愕然とし、「こんなおばちゃんの敵にはならないぞ」と決意。また、米軍横田基地・厚木基地の爆音体験では「こんなものが必要なのか」と腹の底から憤る。この2つの体験がすべての原点、「平和と人権」は布目の人生のテーマだそうだ。この延長線で、長野県憲法擁護連合(県護憲連合)事務局長を担う。

bullet257決意:弱きとともに…私はチャンネル!
「市民一人ひとりが主役となって政治にアクセスする、これが政治を変える原動力。私はそのためにひとつのチャンネルに、スピーカー役になりたい」と決意した布目のモットーは「弱きを助け、強きをくじく」「普通の人の目線と、感覚で」。社民党長野県連合幹事長として、長年、平和・環境・人権運動を市民・住民と一緒にやってきた彼だから言える言葉。「……重みがある」とは関係者の弁。
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bullet257頭でっかち?
学生時代からの「党人派」故か、理屈っぽい。市議会議員として活動する中で、ようやく角が取れてきたようだが、「頭でっかちな人間」とは布目自身の自己評価。その一方で、「やさしく涙もろい」と周りは指摘する。

bullet257安茂里に住んで36年
1985年に東京から引っ越してきた時は篠ノ井岡田に借家住まい。1987年、長野に骨をうずめようと安茂里に居を構えて丸35年となる。社会党時代から仕事柄、土・日もなく県内を飛び回ることが多く、地域での活動やなじみは残念ながら少なかったが、市議会議員となって、このハードルを越えようとがんばってきている。信州の社民党の「顔」の一人ではあるが、よい意味でも悪い意味でも、地縁・血縁とは本当に無縁な人。布目の想いに共感する人たちのサポートがすべてといっていい人だ。地元安茂里を任せられる議員であり、長野市全体の将来を考えて行動する議員であることは間違いない。市民目線を忘れず、切磋琢磨してもらいたい。

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