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ご訪問ありがとうございます。長野市議会議員の布目ゆきおです。市民の幸せと市民が主役のまちづくりをめざして、日々取り組んでいます。ご意見をお寄せください。

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プロフィールPROFIL


略歴

1957年10月1日富山県富山市生まれ。
1982年中央大学法学部を卒業後、東京三鷹市に居住、日本社会党東京都本部の専従に。
1985年日本社会党長野県本部に移籍。長野市篠ノ井に転居、87年安茂里に居を構え今日に至る。
 日本社会党長野県本部書記長を経て、社会民主党長野県連合初代の幹事長を務める。

1998年参院選挙、翌99年参院補欠選挙に党公認で立候補。
2003年9月長野市議会議員に初当選。
   
2007年9月、3位で再選果たす、2期目。

   
2011年9月、2位で3選果たす。
  市議会では会派「市民ネット」の幹事長。
現在は、総務委員会委員、議会運営委員会委員、子育ち・子育て対策特別委員会委員
 その他、長野広域連合議会議員(福祉環境委員会所属)などを務める。
社会民主党長野県連合副代表、長野県護憲連合事務局長、アルピコ労働組合川中島バス支部特別執行委員。
長野市安茂里小市1丁目に在住。妻と娘2人の4人家族。今は妻と二人暮らし。同居人チワワは2011年逝去。
趣味はトレッキングと写真、妻が愛情を注ぐバラの写真係。


友人が語る布目ゆきお像

生い立ち 57歳
 1957年10月1日、富山市の市営住宅で産声。「越中富山の薬売り」の次男坊として生を受ける。中央大学法学部卒業後、社会党に就職、85年に東京から長野に移り、日本社会党長野県本部書記長、そして社民党長野県連合幹事長を経て、現在、同県連合副代表を務める。参院選に立候補したのが40歳の時。『論語』にいわく「40にして惑わず、50にして立つ」とあるが、布目語では、「40にして惑わず立つ」だったそうだ。師として仰いできた村沢牧参議院議員(故人)の遺志を継ぎ補欠選挙にも立候補したが涙をのむ。今、地域政治の根っこ・自治体から改革をめざす。

ボディ 176cm
 実際の身長よりも大きく見える人。体重は70Kg。若さとパワーが売りものの布目も、最近はおなかが出てきたが、シェイプアップは性に合わないという。薄くなり始めた髪も気にかかる。極度の近視は、市民生活に密着した視点で活動してきたためか?。メガネは使わずにコンタクトレンズを使っている。

20歳の原点「平和と人権、福祉」!
 中央大学法学部時代に、法律相談(セツルメント)活動、反戦活動に参加した布目。東京亀有セツルメントでは、避難施設の退去を命令された生活保護を受けるおばちゃんに「生きていけないじゃないか、死ねというのか」と泣かれ、言葉を無くす。日本に歴然とある貧富の差に愕然とし、「こんなおばちゃんの敵にはならないぞ」と決意。また、米軍横田基地・厚木基地の爆音体験では「こんなものが必要なのか」と腹の底から憤る。この2つの体験がすべての原点、「平和と人権」は布目の人生のテーマだそうだ。この延長線で、長野県憲法擁護連合(県護憲連合)事務局長を担う。

決意:弱きとともに…私はチャンネル!
 「市民一人ひとりが主役となって政治にアクセスする、これが政治を変える原動力。私はそのためにひとつのチャンネルに、スピーカー役になりたい」と決意した布目のモットーは「弱きを助け、強きをくじく」「普通の人の目線と、感覚で」。社民党長野県連合幹事長として、長年、平和・環境・人権運動を市民・住民と一緒にやってきた彼だから言える言葉。「……重みがある」とは関係者の弁。

頭でっかち?
 学生時代からの「党人派」故か、理屈っぽい。市議会議員として活動する中で、ようやく角が取れてきたようだが、「頭でっかちな人間」とは布目自身の自己評価。その一方で、「やさしく涙もろい」と周りは指摘する。

安茂里に住んで27年
 1985年に東京から引っ越してきた時は篠ノ井岡田に借家住まい。長野に骨をうずめようと安茂里に居を構えて丸27年となる。社会党時代から仕事柄、土・日もなく県内を飛び回ることが多く、地域での活動やなじみは残念ながら少なかったが、市議会議員となって、このハードルを越えようとがんばっている。信州の社民党の「顔」の一人ではあるが、よい意味でも悪い意味でも、地縁・血縁とは本当に無縁な人。布目の想いに共感する人たちのサポートがすべてといっていい人だ。地元安茂里を任せられる議員であり、長野市全体の将来を考えて行動する議員であることは間違いない。市民目線を忘れず、切磋琢磨してもらいたい。

バナースペース

布目裕喜雄(ゆきお)連絡先

〒180-0961
長野市安茂里小市1-4-10
TEL 026-227-3537
FAX 026-227-3897