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2010年4月26日
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4.25沖縄県民大会…地元・沖縄の報道から考えたい

 4月25日の沖縄県民大会はマスコミでも大きく報じられました。地元・沖縄ではどのように報道されたのか。沖縄県内の新聞社の26日付の社説から考えてみたいと思い転載します。
 ところで、3月議会の話になりますが、長野地区護憲連合が提出した「米軍普天間飛行場の国外・県外移設を求める請願」は残念ながら賛成少数で否決されました。紹介議員になりました。沖縄県議会が超党派・全会一致で可決した意見書をベースに取り組まれたものですが、「沖縄県民の気持ちは理解できるが、基本的に国の問題である」とする反対意見によって、国への意見書は実現しませんでした。説得力のない苦しい反対意見なのですが、本土の私たちに何ができるのか、何をしなければならないのか、改めて真剣に考え行動する時だと思います。

            ◆琉球新報の社説  ◆沖縄タイムスの社説

琉球新報4月26日社説より

「県民大会決議 基地なき島へ新たな始動/未来に誓った約束の重み

 「民主主義は与えられるものではなく、奪い勝ち取るもの」。日本の教科書にはないが、そんな歴史を沖縄県民は先人から学んだ。

 その教えと教訓が25日、読谷村で開催された「普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外に移設を求める県民大会」で発揮された。
 初の超党派の大会には出席が危ぶまれた仲井真弘多知事も登壇し、思想信条を超え、県民が心を一つに危険な基地の早期撤去と県内移設反対を日米両政府に突き付けた。会場には10万人近い県民が押し寄せ、戦後65年間、復帰後38年間も変わらぬ基地の過重負担に強い異議を唱えた。

 

《政府の揺さぶり》

 「最低でも県外」と県民に公約した鳩山由紀夫首相は、もはや後戻りはできまい。新たな基地の県内建設という野望を捨て、危険な基地の撤去を急ぐべきだ。

 県民大会で県民が口にしたのは、未来への約束、子どもたちへの誓いだ。それは「基地のない平和な沖縄の実現」だ。

 次代の子どもたちに米軍基地の被害と負担を残さないこと。私たちの世代で基地被害や基地依存から脱却し、明るい未来を描く真っ白なキャンバスを残すこと。それが、県民大会に参加した人々の共通する願いであり、誓いだ。

 仲井真知事は、大会直前まで参加をためらった。参加見送りを促す政府の圧力に悩んだか。

 政府に盾を突くことで2年後に更新期を迎える政府の沖縄振興計画や振興策に悪影響が出ないか。財政依存度が全国に比べ突出する県経済だ。「ムチ」の痛みはどれほどか。

 新基地建設容認と引き換えに自治体に支払われる基地交付金、基地建設に伴う大型の公共事業は、建設業の比重の高い沖縄にとって、手を伸ばしたくなるアメだ。

 しかし、知事は大会出席を選択した。「日米同盟を肯定する」という知事でさえ「沖縄の負担は応分をはるかに超えている」と壇上で訴え、「普天間の危険性の早期除去」「過重な基地負担の軽減」の二つを政府に要求した。

 同時に沖縄の次期振興計画の柱となる「沖縄21世紀ビジョン」の基本が「基地のない平和な沖縄」と強調した。

 2030年までの長期ビジョンだが、知事は次代の子どもたちに「米軍基地の撤去」を誓った。

 稲嶺進名護市長は、県民大会のうねりを「国民の民主主義を取り戻し、県民の人権を取り戻す闘い」と表現した。

 今年1月の市長選で普天間の辺野古移設現行案反対を訴え当選した稲嶺市長は、「オール沖縄で反対する原動力となり、先導役を担った名護市民を誇りに思う」と語り、政府内で再浮上する「辺野古回帰」の動きにくぎを刺した。

 沖縄には在日米軍専用施設の74%が集中する。日米再編で合意された普天間など嘉手納基地より南の5基地が返還されても、占有率は70%を超える。

 

《政府は「矛盾」解消を》

 「過重負担に耐え続ける県民に、世界一危険な基地一つ撤去できない政府」(伊波洋一宜野湾市長)への不信感が会場を包んだ。

 高嶺善伸県議会議長は、「歓迎しないところに基地は置かない」と語った米元国防長官の言葉を引き合いに、「受け入れを歓迎、決議したテニアン、北マリアナになぜ移設しないのか」と矛盾を突いた。

 「4・28」(1952年)は、サンフランシスコ講和条約が発効した戦後日本の「独立記念日」だ。だが、沖縄にとってその日は日本政府が沖縄を切り捨て、米軍統治に委ねた「屈辱の日」だ。

 米軍統治下で沖縄住民は「銃剣とブルドーザー」で土地を収奪され、犯罪の限りを尽くす米兵らの被害に耐え、命を自衛し、「自治は神話」とさえ豪語する米支配者の圧政をはねのけ、自らの手で自治を奪い民主主義を勝ち取った。

 政府が米国に委ねた施政権を返還させたのも、祖国復帰への心を一つにした住民運動だった。

 痛めつけられてもくじけず、過重な負担に耐え、侵害された人権や奪われた権利、脅かされた生活を、常に県民は自らの手で取り戻し、勝ち取ってきた。

 政府は5月末までに移設先を決断するという。大会決議をいかに実現するか。闘いはこれからだ。
 4・25県民大会を、将来の基地撤去に向け県民の新たな挑戦が始まった日として胸に刻みたい。


沖縄タイムス4月26日社説より

「4・25県民大会…県内移設は不可能だ 民意に沿い歴史的英断を

 自民党に共産党、親子連れに若者同士。沖縄戦を体験したお年寄りたちの姿も目立つ。党派や世代を超えて集まった人たち約9万人(主催者発表)。静かな熱気が会場を包む。

 開会後も会場を目指す車の列は途切れず、周辺道路は大渋滞となった。大会に参加できなかった人たちは黄色のリボンを腕に巻くなどして県内移設反対の意思を示した。

 読谷村運動広場で開かれた「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、県内移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」は、沖縄の世論が一つにまとまった節目の大会となった。

 県内の政治状況は昨年からことしにかけて劇的に変化した。民主党は昨年8月の衆院選で「最低でも県外」と公約し、県内全4選挙区で現行案を認めない候補者が当選した。

 名護市長選では同じく現行案に反対する稲嶺進氏が当選した。県議会も与野党が初めて足並みをそろえて県内移設に反対する意見書を可決し、全41市町村長が県内移設に反対している。

 県民大会に合わせるかのように、政府内で名護市辺野古沿岸部を埋め立てる現行案を、一部修正する案が検討されているとの信じられないニュースが飛び込んできた。「最低でも県外」の公約を裏切るばかりか、この国の民主主義の成熟度を疑わせる。

 稲嶺名護市長は辺野古回帰論について「県民を愚弄(ぐろう)するものでとても許せない。海にも陸上にも基地は造らせない」とあらためて誓った。

 うるま市勝連沖埋め立て案が浮上していることについて島袋俊夫市長は「巨大軍事都市化につながりかねず、到底容認できない」と拒否の姿勢を明確にした。

 もはや県内移設が不可能なのは決定的で、それを前提にしない限り解決策はあり得ない。

 11月には知事選がある。知事は公有水面埋め立ての許認可権を持つ。県内世論の9割が国外・県外を求める中で、県内移設容認の知事が誕生する可能性はほとんどない。

 2日前に出席を決めた仲井真弘多知事は県内移設反対を明言することはなかったものの、鳩山由紀夫首相に「公約に沿ってネバーギブアップでしっかりやってもらいたい」と注文を付けた。

 仲井真知事も引き返すことのできない地点まで来たというべきだ。

 そもそも地元合意なしに新基地を建設できると思うのは時代錯誤も甚だしい。移設候補地として名前が挙がった九州中北部の自治体からはすぐに反対の声が上がる。海兵隊は日本のどこからも受け入れられていないということになる。

 地元に歓迎されない場所に米軍を駐留させないという米国の原則からすると、海兵隊は撤退を真剣に考える時期にきている。

 米軍が普天間の代替施設を求めるのは既得権を手放さないからだ。

 しかし、代替施設を県内に求める従来の手法は明らかに限界にきている。海兵隊の国外移設と運用見直しを組み合わせた新しいアプローチが必要だ。

 現行案にこだわる米国にも政権交代を認識してもらいたい。米軍受け入れ国で政権交代後に撤退する確率は67%というデータもあるくらいだ。

 鳩山内閣は、首相と関係閣僚の間で意見の食い違いがあるようだ。

 鳩山首相は現行案回帰について「自然に対する冒涜(ぼうとく)」とまで言って否定したが、岡田克也外相、北沢俊美防衛相らは県内移設案に傾いているようだ。

 鳩山首相は、首相でありながら孤立状態に陥っているようにみえる。鳩山首相が県内移設派の閣僚や官僚に包囲され、県内移設に舞い戻る最悪の事態を憂慮する。

 私たちは「4・25」を県内移設が葬り去られた日と理解する。日米両政府ともその意味を見誤ってはならない。


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