大本営海軍部壕、初めての親子見学会…安茂里小市で

第2次世界大戦、太平洋戦争の終結から75年目を迎えた8月15日、地元安茂里小市で、戦争末期に掘削された「大本営海軍部壕」(名称が確定しました)の親子見学会が初めて催されました。

太平洋戦争末期、松代地区への大本営地下壕工事に関連して旧海軍が長野市安茂里小市に掘られた地下壕の存在を後世に伝えようと、地元の小市地区の有志...

20メートル先で崩落しており、目にすることができるのは入り口部分のみです。ライトアップされ岩肌をよく見ることができます。

寺島工務店さんの倉庫をお借りしての見学会開会式。松代大本営地下壕跡の保存・公開運動に携わった長野俊英高校・郷土研究班を指導した土屋光男さん(語り継ぐ会事務局長)から地下壕工事の様子を説明。小市の地下壕跡は寺島工務店さんの工場敷地・北側の山腹斜面に存在します。

昭和の時代の大切な戦争史跡として保存・整備に取り組んできている「昭和の安茂里を語り継ぐ会」(共同代表=塚田武司さん・岡村元一さん)が主催したもので、私もスタッフとして参画しています。

親子見学会に合わせ、長野市の支所発地域力向上支援金(安茂里支所分)を活用して「案内看板」も掲出されました。

午前9時からの見学会には、松ヶ丘小学校の生徒と保護者などおよそ30人が参加しました。

全員で黙とうの後、参加者の皆さんは二班に分かれ、地下壕跡前での説明と、大本営地下壕が掘られた松代地区の皆神山・象山・のろし山を遠望しながらの説明に耳を傾けました。

小市の地下壕前からは、松代で地下壕が掘られた三つの山を眺望することができます。

小市に残る地下壕は、松代大本営地下壕工事の関連施設として旧海軍第300設営隊によって掘削された地下壕で、高さ2.5メートル、幅3メートル、奥行き20メートル余。掘削時には100メートルほどの奥行きだったとされ、本格的な工事の一歩手前で終戦になったとみられています。

計画では、本土決戦に備え、海軍令部の軍人ら1000人を収容する施設として、隊長=山本将雄技術大尉、主計長=浅野寛少尉を中心に、先遣隊50人、後に第300設営隊の約半数の500人で掘削工事を進めたとみられています。敗戦の年、1945年6月のことです。

下図は、旧海軍が司令部として横浜市・日吉台に作った地下壕本部などを参考に作成された小市の「海軍部壕」の予想図です。第300設営隊が関与したことから、かなり大規模な地下壕司令本部が計画されていたのではないかと推察されています。

参加した子どもたちは「戦争のことがいろいろわかってよかった」と話し、保護者も「戦争に関して子どもと話す機会もあまりないのでよい機会だった」などと話していました。

閉会式では、参加した小学生から感想を話してもらいました。

地元の松ヶ丘小学校では、総合学習の一環で地元の歴史を再発見する教材として活かしていきたいとします。

地域に残る戦争史跡を語り継ぎ、平和を希求する取り組みにつないでいきたいものです。

地下壕入り口まで階段と手すりが整備されました。

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